シンガポール人の学力は、国際的なランキングで常に上位に位置しており、その成功について、各国の教育関係者から注目を集めています。
一方、このような教育制度の成功の裏では様々な問題を生じさせている点も近年クローズアップされるようになってきています。
このようなシンガポールの教育制度とその実践、さらには問題点について活写し、ひいては日本の教育制度に対する示唆を与えるのが、『教育大国シンガポール 日本は何を学べるか』。
著者の中野円佳氏はもともと日本経済新聞社の記者でしたがその後大学院に入学、修士論文「育休世代のジレンマー女性活用はなぜ失敗するのか?」が光文社新書から出版されています。
著者はジャーナリスト、社会学研究者という2つの専門性をもっており、シンガポールに5年間、母親として滞在しシンガポールの教育環境を実体験されています。本書「教育大国シンガポール」ではジャーナリスト、社会学者の視点が生かされているように思います。
本記事では、『教育大国シンガポール 日本は何を学べるか』の中でシンガポールの教育制度の光と影を描写した「第1章 教育優等生のシンガポール?」から「メリトクラシー」というシンガポールの教育制度の重要な概念を紹介したいと思います。
シンガポールは、奇跡的な経済発展を成し遂げた国として世界に名高いです。「世界競争力報告」(世界経済フォーラム公表)や競争力ランキング(IMDビジネススクール)などで世界1位の評価を得ており、多くの国がシンガポールの成功要因を分析し、自国の[…]
シンガポール教育のコア概念「メリトクラシー」
本書で学んだシンガポールの教育制度を一言で表すものとして「メリトクラシー」があります。「メリトクラシー」は本書で以下のように説明されています。
「メリトクラシー」というのは、もともとマイケル・ヤングの著作『メリトクラシー』に出てくる社会のことで、それまでの属性主義、つまり貴族に生まれたものが貴族になるということではなく、能力主義、つまり学歴などによって測った能力とされるものに応じた処遇を徹底するという考え方だ。
資源も資産もなくマレーシアから追い出されるように独立したシンガポールは、建国当初から能力主義で有能な人材をどんどん登用していく必要がありました。
その建国からのDNAを引き継ぎ、今でもシンガポールの教育制度のコアとなっている概念と言えそうです。以下、引用です。
シンガポールにおける教育システムの目的は、国家へのアイデンティティと献身の精神を身につけさせること、経済発展の持続を達成することだ。そこで重視されているのが、教育を媒介として能力のある人材を登用していく体制である。国家の発展のため、学歴エリートを、官僚、そして政府に引き入れていく。シンガポール政府は、近隣のアジア諸国で賄賂や不正がまかり通っている可能性とは一線を画し、自国のシステムを「メリトクラシー」といって憚らない。
シンガポール社会は「メリトクラシー」であるがゆえ、高学歴化をめざし、その後もリカレント教育や留学により市場価値を少しでも高め続けると著者は説明します。
10歳時点で国内上位1%を選別し、特別な教育を受けられる「Gifted Educatin Programme」や、外国人の就労ビザ発給において学歴や給与額で点数化する制度もすべてこの「メリトクラシー」という概念から来ていると思われます。
一方、この「メリトクラシー」には副作用もあります。それは、メリトクラシー化した社会では、エリートが自分の能力、業績、報酬を当然視する事、また下層階級の人が自分が下層であることが自身の能力不足であることに言い訳ができなくなる問題点もはらんでいます。
また、過度な競争主義や金銭的な教育格差、子供や親の教育ストレスの問題を高めます。
さらに、著者によるとシンガポールは創造性の問題に直面しています。
「変化が激しいグローバル競争の中で、イノベーションを起こせるような独創的な人材がますます必要になる」という想定に基づいた危機感である。
シンガポールでは、「メリトクラシー」からか、スポーツや芸術についても「測れるものに落とし込む」傾向があり、「Grade(級)」や「Certificate(資格/証明)」という言葉が度々出てくるとのこと。著者いわく、
シンガポールの親たちと習い事について話しているうちに、シンガポールにおいては、塾、習い事についても人格などの深部に入りこむような評価と競争というよりは、点数化できる実績づくりを目指した局所的な競争がもたらされているように見える。
建国から現在まで、シンガポールの「メリトクラシー」は非常にうまく機能してきました。
今後も「メリトクラシー」という概念を基礎とした国家運営でシンガポールが輝き続けるのか、はたまた昭和以来の日本の教育制度のように、その時代には上手く合致したものの、その後は機能不全に陥ってしまうのか、興味深いところです。
さいごに
著者はあとがきで、以下のように述べています。
人口560万人、淡路島ほどの面積の特殊な都市国家では比較にはならないが、それでもシンガポールで見えてきたことは、他の国にも照射することができる。
日本の教育においては、近年「学力低下」や「教育格差」が指摘されるなど、課題が多くあります。著者は、日本の教育における課題や問題点を指摘し、基礎学力の確保や、教員の質の向上などシンガポールの教育システムから学べる点を提案しています。
本書はシンガポールで子育てする方、または仕事でシンガポール、シンガポール人とかかわりのあるすべての方が、シンガポールを本質的に理解するために必読の書といえそうです。
「教育大国シンガポール 日本は何を学べるか」(目次)
第1章 教育優等生のシンガポール?
第2章 もう一つの教育競争ーグレード化する習い事
第3章 「教育役割」の罠
第4章 「教育と仕事の両立」とジェンダー平等