筆者は、23年7月から24年6月の間に、シンガポール経営大学(Singapore Management University)の資産管理学修士 (Master of Science in Wealth Management)-MWMプログラムへ参加しました。
プログラムの修了にあたり、備忘も兼ねてプログラムの概要やメリットについて記録しておきたいと思います。
SMUのMWMコース概要
MWMの年間スケジュール
MWMは 5 つの学習ブロックで構成され、授業は水曜日の夜(19:00-22:00)、金曜日(8:30-19:00)、土曜日(8:30-19:00)、日曜日(9:30-16:00)に行われます。
学習ブロックではない月はフリーで、仕事やインターンに注力できます。学習ブロック期間のみシンガポールに居住し、それ以外の月は母国で働いているクラスメートも何人か居りました。
学生は 4 番目の学習ブロック中に、2 週間連続でスイス・チューリヒのザンクトガレン大学 (HSG) と、米国ペンシルベニア大学ウォートン校の海外セグメントに出席する必要があります。
同じ目的をもったクラスメートと、2週間世界旅行に行くことなど中々ありませんので、MWMプログラムのハイライトとも言える貴重な経験になります。
MWMの特徴
MWMの特徴として、スクールのHPでは、以下の4つを挙げています。
1. アジアにフォーカスした業界特化
2. 世界ランキング3位
3. 大陸横断的な学習機会
4. 成長加速し、視野を広げる
1.アジア・フォーカス
海外で修士、というと通常はMBA(経営管理学修士)がまず選択肢として挙げられますが、MWMの特徴は金融、ウェルス・アセットマネジメントに特化していること。
授業の内容は、金融やファイナンスが中心で、MBAで学ぶようなマーケティングやアントレプレナーの講義はありません。
卒業後に、金融やウェルス・アセットマネジメント関係の仕事に就きたい人には最適のプログラムとなります。また、自分自身や家族の資産運用の知識、ネットワーク獲得のためにプログラムに参加しているクラスメートも一定数います。
一方で、漠然とキャリアチェンジを考えているような方、事業会社やコンサルティング会社などに行きたい方、ファイナンス以外の分野で起業を考えている方は、幅広でビジネスを学ぶMBAの方が適していると思います。
シンガポールの大学院という特徴を活かして、題材はシンガポールを筆頭に東南アジア、中国や香港などアジアのケースが取り上げられることが多いです。
そのため、卒業後にシンガポールをはじめとするアジア圏で働きたい方には、欧米の大学院に行くよりもチャンスを掴みやすいものとなっています。
2.世界ランキング3位
大学院の世界ランキングとして最も名高いファイナンシャルタイムス(FT)のランキングの直近評価2022年版において、MWMを含むMaster in Finance(経験者向けプログラム)でアジア1位、世界3位と評価されています。
そもそもウェルス・マネジメント専修講座は現状、あまり多くの国で存在していません。金融が発達しておりキャリアの需要が多い金融先進国のみで存在可能なコースかと思います。
今後先進国において金融教育の重要性が増したり、新興国の金融環境が発達することで同様のプログラムが出てくる事が想定されますが、すでに20年の歴史を誇るSMUのMWM修士コースが大きくランキングを落とす自体はなかなか考えられないのではないでしょうか。
シンガポールでも、名門国立大学でMBAランキングでも上位の南洋工科大学(NTU)が、2021年よりウェルス・マネジメントコースを新しく開設していますが、プログラムの洗練さや卒業生ネットワークの大きさを考えると、SMU MWMの規模までキャッチアップするには時間がかかると考えられます。
3. 大陸横断的な学習機会
学生は 4 番目の学習ブロック中に、2 週間連続でスイス・チューリヒのザンクトガレン大学 (HSG) と、米国ペンシルベニア大学ウォートン校の海外セグメントに出席する必要があります。
ザンクトガレン大学はチューリヒから2時間ほど車を走らせた大学街にあります。
欧州におけるプライベート・バンキングの中心地、スイスにおいてファイナンス分野で最も有名な大学の一つで、ザンクトガレン大学 の教授からスイスの金融環境について直接講義を受ける事ができます。
一方、米国ペンシルベニア大学ウォートン校は、言わずとしれた米国屈指のビジネススクールの1つで、MBAランキングなどでもトップ争いに参加している名門校です。
こちらも、トップスクールの教授から米国の金融環境についての講義を得るという貴重な経験を得ることができます。
同じ目的をもったクラスメートと、2週間世界旅行に行くことなど中々ありませんので、スイス・米国への学習旅行はMWMプログラムのハイライトとも言える貴重な経験になります。
4. 成長加速し、視野を広げる
最後に、MWMの特徴、というか目指すべき姿として「Accelerate growth and widen horizons」が提示されています。
どんな海外修士でも、参加すればキャリアの成長が加速され、視野も広がるとは思いますが、MWMの特徴として、ビジネス街の中心に立地しているSMUの地理的優位性から、インターンシップへの参加、転職活動の容易さ、仕事を継続しながら修士号を取得できる利便性が挙げられます。
スイス及び米国での学習機会も、視野を広げるのに大きく役立ちます。
業界で活躍している卒業生とのメンターシッププログラムなども提供しており、ファイナンス分野でのキャリアアップ、視野の拡張には最適なプログラムと言えます。
クラス・プロファイル
2018年〜2021 年度のMWMのクラスプロファイルとして、公式HPには以下のように説明されています。
クラス構成
Class of 2024に関しても大きくは異なりませんが、ざっと以下の感じでした。
人数:40名程度
年齢:24才〜50代
国籍:シンガポール人・永住権者(40%)、中国人(20%)、インド人(20%)、その他 (20%)
その他の国籍は、日本人(1名)、インドネシア人(2名)、マレーシア人(1名)、台湾人(1名)、韓国人(1名)、ベトナム人(1名)
シンガポールにおけるウェルスマネジメント業界の人手不足で、2024年度は前年の2倍近いクラス規模になったようです。ファミリーオフィスも急増しており、しばらく人気が続くかもしれません。
職業
クラスメートが従事している(または直近で従事していた)職業は、多い順でおおよそ以下のようなものです。
・プライベートバンカー
・ファミリーオフィス(リレーションシップマネジャー、運用担当者)
・EAM(External Asset Manager:独立資産運用担当者)
・銀行(toB, リーガル部門)
・スモールビジネス起業家
・投資家(リッチファミリー)
・その他(保険、軍隊司令官、弁護士 etc.)
MWMはもともとプライベートバンカーやファミリーオフィス担当者養成機関としてプログラムが組まれているので、会社スポンサーで送り込まれてくるクラスメートがマジョリティです。
昨今シンガポールのウェルスマネジメント業界が活発で、そこでの人材が逼迫していることから、クラスメートの数も前年に比べて2倍近くになっています。
また、自身(または家族)がシンガポールに資産を移してファミリーオフィスを設置し、自身の資産を運用するために学びに来ているクラスメートも数名いました。ファミリーオフィスで働いているクラスメートに資産運用の契約をしたり、高級車で通学してくるなど、おそらくシンガポールのウェルスマネジメント修士という特異性から出会えるリッチなクラスメート達です。
その他、自分で起業しており、自分のビジネスのためにファイナンスを学びたいという人や、自分の投資運用のために趣味的に学習している人も数名いました。
学費
海外大学院への進学にあたり、学費は大きな検討要素になるかと思います。この点、シンガポールの大学院は、欧米に比べてリーズナブルで円安の昨今を考えてもかなりお財布への負担は少ないのではないでしょうか。
2024年(及び2025年度)の学費は年間でSGD64,500。
早い時期での入学申請や、エッセイ、入学試験の成績次第では奨学金をもらうことができます。
この他、スイスと米国の研修旅行の渡航費、滞在費で50万円〜100万円程度見込まれます(現地での受講費用はSMUの学費に含まれる)。
シンガポールでの生活費は家賃SGD1,500(1人部屋借り)-4,000(家族帯同)/月、食費等でSGD1,000-2,000/月程度は予算に含める必要があります。
MWMコースの内容
MWMコースの内容について、簡単にまとめておきたいと思います。
Block 1 :ファイナンスの基礎知識
ブロック1は、投資にまつわるファイナンスの基礎知識を習得します。ファイナンスバックグラウンドではない人にはかなりタフなブロックです。
Financial statement analysis
企業の財務諸表を読み解くためのシンガポール会計基準(国際基準IFRSと同じ)を学ぶ。1ヶ月で、貸借仕訳、BS/PLの構成から連結/持分法までと会計理論のほぼ全分野を学ぶため、会計バックグラウンドでないとかなりハード。プロジェクトワークとして、Spotifyのアニュアルレポートを分析・プレゼン。
Corporate finance
コーポレート・ファイナンスの基礎。デッドとエクイティの関係、WACC、正味現在価値(NPV)を使ったプロジェクト利益評価、M&Aの企業評価、EVA。アサインメントとして、レバレッジ(デッド)の比率に応じた企業価値変化算定。
Global economy
投資意思決定におけるグローバルマクロ環境。米国のインフレ・高金利、中国のJapanification(日本化)、日本の為替崩壊・金融不全がホットトピック。
Quants analysis
統計学を応用した、投資判断手法。統計分布から、確率的に投資利益が出るか、損失の可能性が高いか判断する。また、重回帰分析を用いた理論投資価値の算定など。
Block 2: 金融・投資の基礎知識
Block1のファイナンス知識をベースに、より具体的な投資対象の分析手法、理論価値算定を習得します。Block1と同様、数学的要素が強く数字が得意ではないとハードなBlockとなります。この時点で、クラスメートの約15%が振り落とされ退学となりました。
Derivatives
デリバティブ商品(金利スワップ、通貨スワップ、先物取引、オプション等)の価値算定。オプションは二項モデル、ブラック・ショールズモデルを用いてオプション価格を算定する。また、様々なオプションを組み合わせて利益を最大化する手法を習得する(いわゆるバタフライ、ストラドルなど)。
Equity & ETF
株式のテクニカル分析、ファンダメンタル分析を習得する(WACC、CAPM、配当割引モデルなど)。また、REITやETFの基礎知識。
Fixed Income
債券の価値算定や、金利の概念(デュレーション、コンベクシティなど)を習得する。また、インフレ調整債券、償還債など多様な債券の基礎知識。
ケーススタディは、シンガポールを代表する失敗企業、水処理企業で急成長後破綻したHyfluxの財務分析。(資本性債券の会計区分を負債ではなく資本に計上したことで、財務分析指標は健全、結果、投資家気づかず突然倒産)。
Block 3: 投資の応用知識
Block3では、Block1・Block2の知識を活かして、より実践的な投資ポートフォリオ構築を習得。また、ウェルス・マネジメントにおいて必要な法律、世代継承の手法を学ぶ。文字で学ぶことが多い、最も文系的なブロック。
Advance topic in wealth management
シンガポールウェルスマネジメント産業の紹介と業界分析。また、銀行における与信評価の手法習得。
Financial advisors law
シンガポールの民法・会社法、財務アドバイザーに関するレギュレーション。数字はほとんど出てこなく、法律英語のみの勝負でノンネイティブにはきついコース。
Portfolio management
あらゆる金融商品の中から、最適なポートフォリをを構築する手法を習得。投資戦略の策定、MM理論、行動ファイナンス、リスク管理など。
Wealth planning
ウェルスの世代継承の方法(遺言、トラスト、財団)とそれに関わる規則。アジア富豪ファミリーの骨肉の争いを数多く学ぶ。。お金があっても悩みは尽きないのですね。
Block 4: 米国・スイス研修旅行
Block4は、スイス(1週間)、米国フィラデルフィア(1週間)へ移動して講義の聴講や企業訪問、プロジェクトのプレゼンテーション。どちらかというと、クラスメートとのネットワーキング、現地視察による視野の拡大に比重が置かれます。
Advance wealth planning
欧米におけるウェルスマネジメント業界の紹介。スイスチューリヒのピクテ本部を訪問。歴史や提供しているサービス、最近のビジネス環境を聴講。
Alternative investing
ペンシルバニア大学Wartonスクールにて、米国ヘッジファンドやVCの特徴と違い、トレンド、ESG投資の基礎知識を聴講。また、「Customer Centricity」ベストセラー教授Peter Faderの講演。「顧客中心に組織を組み立てれば成功できる」的な内容。
European family office
ヨーロッパのファミリーオフィス事情。内容はあまり覚えていない。
Fintech in wealth management
セントガレンのフィンテック担当教授による、最新のAI、機械学習、ブロックチェーン界隈の最新トピックを聴講。
Block 5: 金融職のソフトスキル
最後のBlock5は、それまでとはうって変わってソフトスキルの鍛錬。つまり、プレゼンやインタビュー、クライアント獲得のためのセールストークの訓練。
MWMコース自体が主にプライベートバンカーやファイナンシャル・アドバイザーを養成することを目的としているため、やはりコミュ力が大事ということ。
ここまで終えれば、実際の金融界に戦士を送り込む準備ができるというカリキュラムが組まれていることに気が付きます。英語ノンネイティブの筆者には、久々にガチな英語プレゼンの練習になりました。
Client -relationship management
クライアント対応のスキル。友好的だが譲歩しない、相手を尊重しつつ場を支配する、など実際にシミュレーション。期末試験はBank of Singapore主催のコンペティション。実際にわがままシニアバンカーを相手にコンサルタントになりきる。英語での対応はキツイ。
Structured products
様々なオプションと、オプションと通常債券(または株式)を組み合わせたStructured Product (たとえば、プットオプションのショートと債券を組み合わせたいわゆる仕組債など)の組成方法、価値算定。
Seminar in wealth management
ESG投資、フィランソロフィー(寄付投資)など、「きれいな投資」の紹介。BNP Paribas主催のESG投資プレゼンテーションのコンペティション。ユニクロの分析で決勝戦まで勝ち進む。
Client book building
クライアントコミュニケーションの手法と、どうやってモノ・サービスを売るかの話。”Build a Rapport(信頼を築く)”がキーワード。Rapportという単語は日本人はあまり使わないかもしれませんが、便利な単語でネイティブはよく使う。
Investment management in family office
シンガポールで急増している、富裕層のファミリーオフィスの最新トピック。設立方法や税務優遇制度、報告制度やレギュレーション。
プログラムの感想
個人的な主観ですが、MWMプログラムに参加するメリットは以下のようなものかな、と感じました。
・働きながら1年で修士号(マスター)を取得できる
・ウェルス・マネジメントに特化した専門性が身につく
・少人数クラスでインタラクティブ(双方向)
・シンガポールの金融業界で働くプロフェッショナルとのネットワーキング
・グループプロジェクト主体のためコミュニケーション力強化、外国人「戦友」の獲得
・シンガポールのコア産業(バンキング、ウェルス・マネジメント)を深く理解できる
・都心にあり、職場からのアクセス、インターンへの参加が容易
・スイス、米国での提携大学院コースへの参加が必須、グローバルな視野が身につく
やはり、シンガポール経営大学の最大の利点はキャンパスが都心にあり、ビジネスの中心街からアクセスし易いこと。
シンガポール国立大学や南洋工科大学は名門大学ですが、同大学院MBAに通う友人の話では、シンガポールの地方部にキャンパスがあり、仕事をしながら兼業で通うことや、インターンに参加することがかなり困難とのことです。
仕事をしながら金融系の修士課程に通いたい方や、インターンにコミットしてその後のシンガポール就労を狙う方には、シンガポール経営大学のプログラムが最適です。
さいごに
仕事をしながらの通学で、なかなか忙しい1年でしたが、充実した期間を過ごせました。シンガポールは国土の狭い国で、エンターテインメントも限られているので、大学院に通い、新しい知識を学びネットワークを拡げることも、良い時間の使い方ではないでしょうか。
Wealth Managementのコースに限らず、シンガポールでの社会人大学院に興味がある方は、まずWebページを眺めて見ることをおすすめします。ユニークなコースも多く、なにか興味をひくプログラムが見つかるかもしれません。