シンガポールを理解するためには「プラナカン」という民族を知ることが重要。

シンガポールの政治経済、文化に深く溶け込んでいる民族に「プラナカン」があります。

「プラナカン」とは、マレー語で「その土地で生まれた子」という意味であり、華人とマレー人の混血子孫、または混血ではなくても土着の風習に適応した華僑も含むとされます。

現代のプラナカンは、見た目は華人とほとんど変わらないため、一見してプラナカンかどうかを見分けるのは難しいです。

プラナカンは、シンガポールやマラッカ、ペナンにおける美しい文化的建造物や装飾品以外ではあまり語られることがないのですが、シンガポールの建国から現在に至るまで陰に陽に多大な影響を及ぼしています。

プラナカンの過去から現在、文化から経済まで網羅的に理解するのにとても参考になる本が、「プラナカン 東南アジアを動かす謎の民」。

2018年に上梓された本書は、シンガポールに駐在されていた日経新聞の記者である大田泰彦氏によるもの。

さすが大手の新聞記者による作品ということで、実際のプラナカンへのインタビューや歴史資料に基づいて、プラナカンの歴史的背景から現代における文化や政治的な立ち位置まで明晰に分析され、リアリティある文体で記述されています。

本書から、土着化した華人の「プラナカン」について、興味深いと思った内容を内容を2つほど紹介したいと思います。

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建国の父「リー一族」もプラナカン?

本書によると、シンガポール建国の父リー・クアンユーもプラナカンであったと紹介されています。

この事実は、本人が意識的に避けていたためにあまり公には語られてこなかったとのことです。

戦前、シンガポールが英国海峡植民地であった時代、英国は間接統治の手法として現地のプラナカンを重用していました。

ところが、戦後リー・クアンユーが独立国家を建設し、英国から独立するにあたり、自身がプラナカンとして英国の手先であった事実は庶民からの支持を失いかねず、都合がいいものではありませんでした。

さらには、新しい国家を発展させるためには、国内の対立の火種となる民族問題を封印する必要がありました。

そのため、リー一族は意図的にプラナカンであることを公言しなかった、と本書では解説されています。

ところがその後、2008年の「プラナカン博物館」開館にあたり、息子のリー・シェンロン首相が「自身がプラナカンである」ことを公言しました。

これは、経済的に発展したシンガポールが、今後文化・芸術の面でも発展するためには、多様性やマイノリティを受け入れていくことが必要であるため。

プラナカンは今、

国家アイデンティティーを形作る新たな概念に変貌し、その大きな姿を現している

と解説されています。

ASEAN創設の功労者はプラナカン

もうひとり、偉大なプラナカンにタン・トクセンがいます。シンガポールで最も有名な病院の一つに名前を冠しているため、シンガポール在住の人はたいてい一度はこの名前を耳にしているかと思います。

タン・トクセン、もともとはマラッカの中流プラナカンでしたが、シンガポールの歴史の最初期、つまりラッフルズがシンガポールに東インド会社を設立した際に同行しています。

タン・トクセンはその後、シンガポールの開発とともに実業家として莫大な財産を築き、偉大な慈善家として歴史に名前を残します。

さて、本書で紹介されたエピソードで興味深いのは、このタン・トクセンではなく、彼の子孫がタイに土着しているという点です。

タン・トクセンの息子の1人、タン・キムチンはシンガポールとタイで事業を行っており、タイ国王ラーマ4世、5世から名前や土地を賜るほど信頼を得ていました。

そしてそのタン・キムチンの子どもたちのうち、タイを拠点にしていた子孫たちはその後タイで血脈をつないでいます。

その中で有名なのがタナット・コーマン

タイの外務大臣で1967年のASEAN創設の立役者と称賛された人物です。

シンガポールのプラナカンの末裔がタイで外務大臣、ASEAN統合の立役者となる。東南アジアにおけるプラナカンの存在感を感じるエピソードではないでしょうか。

さいごに

シンガポールの見方を「華人による経済先進国」から「プラナカンによる多文化国家」に転換すると、より彩りに満ちたシンガポールが浮かび上がってくる気がします。

著者は、プラナカンには

「何かを探し求めて彷徨する者の空気」つまり、「農耕民族のような『先祖代々この土地にしっかり根を下ろして生きてきた』といった安定感とは対照的な、漂流感、フロンティアを駆け抜ける開拓者精神のような空気」

があると説明します。

今後日本から飛び出して世界に挑戦しようとする日本人にとって「プラナカン」の精神は非常に参考になると思います。

現代のシンガポールを理解する上で「プラナカン」を知ることは欠かせません。

文中、戦中日本軍がプラナカンに対して行った非道についても紹介されますが、日本人としてはこの歴史的事実を知っておく必要があります。

ぜひ、本書を参考に「プラナカン」という側面からみたシンガポールを垣間見てはいかがでしょうか。

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